奇跡の酒。
- 2012/03/11 23:58
高田延彦さんから稀少な日本酒を頂きました。
書が添えられていました。以下、全文です。
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謹啓
残寒の候、風邪など召されずにお過ごしでしょうか。待ち遠しかったこの春こそ、皆様には是非、この酒で心温めていただきたくご連絡いたしました。
この日本酒には、時代を超え守り抜かれてきた人々の思いが込められています。ほころぶ桜を見上げながら、その思いを共に味わいたい皆さまへ、この「宝物」を送らせていただきます。
話は少し長くなりますが、「宝物」との出会いをお話します。平成二十三年三月十一日。あの日、「冨沢酒造」という江戸時代から四百年続く小さな酒蔵は、代々受け継がれてきた自慢の酒の瓶詰め作業に追われていました。そこへ、突然の揺れが襲い、蔵中の一升瓶が次々に倒れ、割れ、尻もちをつく人間を押しのけながら重い機械が床を滑り、しなる柱にのめるようにぶつかっていったのです。
蔵元の主人は何が起こっているのか分からないまま、とにかく手にしていた一升瓶を胸に固く抱いていたそうです。酒を守りたい、蔵を守りたい、誰も死なせてはならない…。揺れが収まり、ふと気づくと彼の掌は握りしめていた一升瓶によりザックリと切れ、血が噴き出す状態になっていました。
近くの病院に歩きついたものの、手術中の患者もそのまま放置されているような地獄絵図。タオルを二枚、手に巻き付けただけの処置で帰途についたそうです。涙も出ませんでした。
蔵に戻り、割れずに残った一升瓶を見つけたとき、我に返りました。「今できることをしよう」 情報が一切入らず、不安に押しつぶされそうになりながらも、家族全員で黙々と出荷作業を進め続けたのです。
しかし、悲劇はそれでおわりませんでした。地鳴りのような振動とともに爆音が轟き、まわりの空気に身体が圧縮されるような衝撃に、蔵の外へ飛び出すと、空に大きな「きのこ雲」が上がっていくのが見えました。
福島県双葉郡双葉町に続く「冨沢酒造」は、福島第一原子力発電所から3.6kmの地点にあるのです。
家族は決断を下しました。代々守り通されてきた「冨沢酒造」の技を絶やさぬため、酒の命である「酵母」を持って「長男」だけは蔵から離れ、何としても逃げ延びなければならない。そのうえで蔵元の主人と、その母、妻、長女は土地に残り、そこにある酒と蔵に染み付いた伝統を守ることにしたのです。
ところが、間もなく自衛隊の重装車が隊列を組んで町に分け入ってたかと思うと、理由も聞かされないまま、身の回りの荷物だけを持たされた状態で町から出て行かなければならなくなりました…。
その後、家族は「長男」と、そしてその懐に抱え、赤ん坊のように避難させた「酵母」との再会を果たします。会津若松にある蔵元のご好意により、その酵母を元に酒造りを再開させることもできました。
勝手のまるで違う設備内に「間借り」のような状態で、祈るように仕込んだ酒。出来た本数は約三千本。
地元では「奇跡の味」と呼ばれる傑作、それがこの酒なのです。
私がこの話を聞いたのは昨年の十一月。何度も仕事でご一緒しているテレビ関係者からでした。
胸が熱くなり、どうしても、その家族に会いたいと思ったところへ、「高田さんに、そのお酒のラベルを書いてほしいと、冨沢酒造さんから頼まれているんです。どうしますか?」とのこと。
書く文字は「活」。
なぜ、そのような大役が私なのかと聞くと、この「活」という字は、「復活」という意味ではないというのです。
「活力」「活きる」
そういった、前へ進むパワーを表す文字。だからこそパワーのある高田さんに書いてもらいたいのだと。
ありがたかったです。
「活」この一文字に、万感の思いを込め、時を越え震災をくぐり、人の手から手へ繋がって守られた命の奇跡を、あえて真っ直ぐに祝福したい。そう思いながら筆を執りました。この酒同様、「底力のある」字になったと思います。
ずっと応援し続けたい人が増えました。この気持ちこそが人を強くしていくのかもしれません。
皆さんと一緒に、春の空を仰ぎながら、乾杯させてください。
敬白
平成二十四年三月吉日
高田延彦
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世に"幻"と言われる酒は数多くありますが…奇跡の酒は、なかなか聞きません。感慨深く、しみじみと伝わってきます。