目下〜「ひとつ」が好評な長渕 剛ですが、この時期になると… やっぱり、「乾杯」を聴き出します♪
学生時代の青春の残像を思い出し、心の渇きと空虚感を満たしてくれる恍惚の1曲。
膨大な長渕 剛コレクションの中から、アナログレコードとCDシングルに写る長渕の若々しさが何とも言えない(笑)
長渕のヒット曲と知られる"新録"の「乾杯」であるが、元々は1980年発売の長渕3作目のアルバムに収録されているタイトルソングが原曲であった。
長渕が、鹿児島県立南高校時代に、フォークグループを組んでいた〜親友が東京で結婚することになり、披露宴に出席する事を約束していた長渕は、オリジナルの新曲を作り上げ、席上で歌って祝うプレゼントとしたのだった。
かたい絆に思いをよせて……
学生時代、友情を分かち合った親友を祝して作った渾身の歌だった。
誰もが、時には傷つき、そして喜びあった青春時代。
そんな親友が新たな人生の歩を進み始める。
幸せを祈り、願い… 乾杯!と実直に純粋無垢に歌にした。
そんな当時、長渕は「乾杯」とタイトルを掲げたアルバムコンセプトを[世の中に大きな流れがあるのなら、その流れに巻き込まれることなく、あえて自分の流れを作りたい。自らの流れを突き進みはじめた全ての人々に、そして果てしなく頂上を目指して挑み続ける人に、乾杯!]と語っている。
最初は、友情の証として、結婚する親友の為に作った「乾杯」だったが、そのテーマを更に昇華させ、自分らしい生き方を貫く全ての人々への人生讃歌としたのである。
そんな1980年の夏、予期せぬ〜異変が起きる。
前作のアルバム「逆流」からのシングルカットした[順子]が爆発的ヒットになり、チャートの1位になるなどし〜テレビ出演依頼も殺到しだす。
長渕ブームの始まりだった。
と同時に、ここからしばらく…"順子の長渕" という長渕自身、本心ではないレッテルを貼られ続ける事にもなった。
そんな長渕の元へ、1987年、東芝EMIから、それまでシングル化されていなかった「乾杯」をシングルとしてリリースしたいという申し入れがあった。
その当時の長渕は、既に武道館などのアリーナやスタジアムでも超満員に出来る不動の人気と支持を得ていた。
[そんな時期だからこそ、一気に全国各地に長渕が知れ渡るシングルヒットが欲しかった]という男がいた。
その男こそが、現ユニバーサルレコード会長の石坂敬一、当時の東芝EMI常務であった。
まさかの旧譜「乾杯」に目をつけた、石坂・東芝EMI側は長渕にその旨を打診した。
ビッグヒットのシングルを作り〜長渕を世代を越えた日本を代表するアーティストにしたかったのである。
しかし…何故、当時7年も前の「乾杯」だったのかと聞かれた石坂は、長渕の制作指揮を執る一方、洋楽ではビートルズを一手に引き受けていたキャリアと実績を持ち合わせていた。
石坂は、折々に長渕とジョンレノンを照らし合わせてきた。
[詩人としての、長渕とジョンレノンは共通するところがある。難しい言葉を使わないのに、その意味は深い。そして古くならない]
[日本人が発展の代償に置き忘れてきた良い言葉に、再び生命を与えている。あたかも"3分間の直木賞"のように]
しかし…そんな石坂・東芝EMI側の申し入れに、長渕は難色を示した。
当然であろう。今も変わらず、過去より明日を見据え〜目指す長渕が、今更、後戻り的に旧譜をシングルカットしてリリースするという姿勢は納得できないと。
そして、長渕はこの当時ですら、7年前の自身の声が嫌であった。
キレイすぎて、人間の怒りや叫びをも表現したい長渕は、ザラッとしたようなブルースの響きが声に欲しかったのだ。
その為に、ルゴールの原液や焼酎で来る日も来る日もうがいをした話しは有名である。
そんな長渕も年間、100本以上のLIVEで喉仏を痛めつけんとばかりに、とことん歌った。
そうしながら〜ようやく、理想に近づきつつある声を手に入れた。
それなのに、昔の声がまた…"今"として世に晒されてはたまったものではない。
そんな葛藤ややり取りの末、サウンドから全てやり直す、新録音の「乾杯」を作ることになった。
吉田拓郎、中島みゆきらも全幅の信頼をよせる、アレンジャーの瀬尾一三と長渕が作り上げた、新ヴァージョンの「乾杯」は当時、カセットテープで聴いた中学生だった僕の心にザックリ突き刺さった。
荘厳な響きを持つシンセサイザーの調べで始まる、神秘的サウンドだった………
当時、31歳の長渕は、自身の全人生を捧げるかのように祈り的に歌い上げている。
"SONG is POWER" 歌は力なり。
をもまざまざと記した。
声にも、若い時には見られなかった、かすれやザラつき、切なさを感じ、響きとウネリも垣間見える。
歌詞の一言一句を噛み締めるように呟きながら歌う、奥深さや哀愁もある。
風に吹かれても〜 雨に打たれても〜、すすり泣くようにも聞こえる。
君に幸せ〜で高らかと叫び、あ〜〜〜れ!と万感の思いを、天に舞い上がるように歌い放った。
88年2月、シングル盤としてリリースされた、新ヴァージョンの「乾杯」は、石坂の読み通りに大ヒットし、島国・日本に打ち立てた…普遍の名曲として〜全国津々浦々、世代を越えて歌い継がれていく事になる。
石坂は言う、[フォークというのは、それまである種の若者のスタイルや時代性がありました。けれど、長渕の「乾杯」はそのカテゴリーから脱却したフォークの第一号になりました] と。
新ヴァージョンの「乾杯」は、それまでの長渕の最大ヒット「順子」をしのぐミリオンセラーになった。
この瞬間、長渕が長年貼られ続けていた……
"順子の長渕"
というレッテルから脱却したのである。
誰しもが知る歌として、結婚式や歓送迎会、転勤、卒業などの巣立ち、旅立ちの折には必ずと言っていいほど耳にし愛唱されてきた。
こうして誰もが愛唱歌として知り、独り歩きしだした「乾杯」であるが…長渕がただの愛唱歌ではないとテレビで見せた事が一度あった気がする。
1990年、あの問題とされた〜紅白歌合戦に初出場した際である。
前年に崩壊したベルリンの壁近くの教会で「乾杯」「いつかの少年」ら3曲を日本へ向けて歌った。
新古の時代の移り変わりの狭間で、長渕は人間讃歌として「乾杯」をギター1本で歌い上げた。
長渕そのものの「乾杯」だった。今見ても、決して色褪せない瞬間だった。
泥臭い程に人間らしく、人間が好きだからこそ〜愛し、憎む長渕。
戦争も平和も天災にも真っ向向き合う強さや、一身に抱きしめるような優しさを持ち合わせる長渕は、初出場から21年たった去年の紅白でも、ベルリンから被災地へと立ち位置は変わっても、今なお、何ら変わらない心魂が確かにあった。
「乾杯」も「静かなるアフガン」も「お家へかえろう」も、最新曲の「ひとつ」も根底の流魂は同じ。
アーティストやスーパースター以前に、一人間としての実像があり現実がある。
過剰な愛とレジスタンス。
幾多の成功と失敗。
強さと優しさ。
友情と絶縁。
桜島がそびえる鹿児島と、花の都・大東京。
いつだって、そんな二元論的対照観溢れる男としてのダンディズム。
そんな「乾杯」に乾杯!である。
3月から長渕は、5月から始まる〜長い長い…LIVEツアー♪へ向け、加速する。
同時期、春の戦場へ向かう僕の背中を押してくれる響きをヒシヒシ感じ得る今日この頃。
こんな今だからこそ、皆さんも「乾杯」を目を閉じて聴いてみてください。
■追伸:3月11日の[報道ステーションSP]被災地からの生中継LIVE決定に続き……来週、24日(金)の[ミュージックステーション]にも、久しぶりに長渕の出演が発表されました。同じテレ朝という事で伏線はあるでしょうが、ミュージックステーション出演には、長渕が若者のファン層を取り込みたいと最近、表明した言動の裏付けに他ならないのではないでしょうか? 長渕の打って出る覚悟を感じます。ぜひともご覧頂ければと思います。