不幸か?悲劇か?
- 2012/11/14 23:50
20代の若者が、飲食業で長続きしないという話をよく耳にします。
他の業界でもでしょうが。
これは、飲食業という〜参入壁の低いという点はあれど、店や会社の在り方云々以前に、精神的に自立していない若者が増え続けている事もあります。
これにも、いくらか要因があったりしますが。例えば〜携帯依存症とも言われる若者が多い事を例に上げるまでもなく、リアルコミュニケーションの欠如と、それによる真の人間関係の構築不足。
リアルコミュニケーションに準じた手段としての携帯なり〜SNSならまだしも、それだけが心の拠(よ)り所になっている若者も実に多い。
まずもって〜挨拶や言葉遣いの常識レベルを知らない。
僕らが〜十代、二十代で過ごしてきた時代背景と当たり前に違いすぎます。確かに世の中は便利に、合理的に発展してきました。しかし…敢えて、"代償"と言ってしまいますが、僕らが心身を持って〜感じた、苦しみ・辛さ・痛みを知らない若者も急増しています。
それを知る事で得られる、得られた〜真の連帯や感謝、忍耐などの"気"の心が薄れ続けているような気がしてなりません。
これがあれば、大抵の事は精神的にも乗り切れるのになぁ。
これはある意味、不幸であり〜悲劇とも言えます。
ITだ、"通信"だともてはやされる時代ですが、"通心"とは言い難いのかもしれません。
若者がよく、"チャラい"という表現をします。これこそ〜今の若者を表す、若者の為の若者の言葉です。
無味乾燥、無色透明という例えもあります。
変わりゆく〜時代と、この島国の中で、自分自身であり続け、十代の頃のような感受性を持って生きる事は心底、疲れ、難しいものです。
でも、僕は決して忘れません。
自分の中の〜いつかの少年 を。
■追伸:学生時代や二十代半ば位までで、バイトや社員であろうが〜やりがいや学ぶ事を知る前に、時給だ、給料だ、待遇だ、などと…いう人間はまず出世しません。望むべき金銭勘定する前に、人間性や能力が追い付いてないのがほとんどです(苦笑)。与えられた〜尺(時間)や範疇だけの最低限しかしない、出来ない。これじゃダメです。そこから、それ以上が評価と思わないと。
それと余談ですが…僕が、都度都度〜長渕 剛の「いつかの少年」と言うのは、消し去ってはいけない、僕自身の原風景や青春時代を心に刻み込んでいて、それをいつも突き上げるように思い起こさせてくれる歌だからなんです。